『2666』ロベルト・ボラーニョ|第二部の感想と考察

 第二部は、第一部のラストでほのめかされたアマルフィターノがサンタ・テレサに到着した時点から始まる。


 第一部での彼の変化を知る読者は、この人物に多大な好奇心を抱いている。


 しかし、物語はすぐに彼の妻ロラの話へと移る。ロラの物語は、現実感が希薄でありながら、同時に「確かにありうる」と感じさせるリアリティを持つ。それゆえに、読者の心のヒダに絡みつき、突き放すことができない。


 やがて再びアマルフィターノの物語に戻る時、読者は一瞬、霧が晴れたかのように錯覚する。だが、目の前に現れたのは我々の良く知る世界ではない。そこは、何が不安なのかも分からず、その「分からなさ」自体が不安感をさらに増幅させていく世界だ。


 恐ろしいことに、サンタ・テレサでは、彼の周りにいる家族や同僚たちの行動よりも、遠い故郷であるチリの伝説的歴史の方がよほど「本物」のように感じられてしまう。


 アマルフィターノは「亡命」という稀有な経験を生き抜いてきた人物だ。しかし、そんな彼でさえ、サンタ・テレサという土地では精神に変調をきたしてしまう。

 

 彼は合理的・科学的な「幾何学の本」ではなく、混沌とした「チリの伝説に満ちた歴史書」に傾倒していく。彼のアイデンティティの拠り所が、「科学」から故郷の「チリ」へと移っていくのだ。


 本当は、論理的な幾何学図形のいたずら書きも、真偽不明の怪しい歴史書も、この土地の現実の前では大差がないことを、彼自身が知っているはずなのに。


 この章では、多くの人物が精神の安定を図ろうともがく。ゲーラ・ジュニアが突飛な行動で安定を図るように。アマルフィターノ自身も、会話の中で「心の平穏だけが裏切らない」と語る。


 この気味の悪い世界で、誰もが「心の平穏」を保つために、それぞれの儀式的な行動にすがる。そこは、わずかなバランスを崩しただけで、二度と霧の中から抜け出せなくなる世界なのだ。


 そして、我々読者はその結末を知っている。アマルフィターノが、ついに心の平穏を得ることができなかったことを。第一部(批評家たちの部)で描かれた彼の姿が、すでに平穏とは程遠いものであったように。リズ・ノートンが評した通り、彼はあらゆる物事を「無視」するにはあまりにも繊細な人物であり、この土地の異常さから目を背けることなど、できるはずもなかったのだ。

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