古代メキシコ展 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 7月 31, 2023 古代メキシコ展マヤ アステカ テオティワカンに行って来ました♪ ナウシカのオープニングみたいな、壁画もありました!!! これはテオティワカン文明の「死のディスク石彫」 今回の目玉の一つです( ̄∇ ̄) マヤ文明の赤の女王です。奇跡の初来日だそうです(o^^o)アステカの鷲の戦士像です。色々と興味深い特別展でした。面白かったです( ̄∇ ̄) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
『2666』ロベルト・ボラーニョ|第二部の感想と考察 9月 07, 2025 第二部は、第一部のラストでほのめかされたアマルフィターノがサンタ・テレサに到着した時点から始まる。 第一部での彼の変化を知る読者は、この人物に多大な好奇心を抱いている。 しかし、物語はすぐに彼の妻ロラの話へと移る。ロラの物語は、現実感が希薄でありながら、同時に「確かにありうる」と感じさせるリアリティを持つ。それゆえに、読者の心のヒダに絡みつき、突き放すことができない。 やがて再びアマルフィターノの物語に戻る時、読者は一瞬、霧が晴れたかのように錯覚する。だが、目の前に現れたのは我々の良く知る世界ではない。そこは、何が不安なのかも分からず、その「分からなさ」自体が不安感をさらに増幅させていく世界だ。 恐ろしいことに、サンタ・テレサでは、彼の周りにいる家族や同僚たちの行動よりも、遠い故郷であるチリの伝説的歴史の方がよほど「本物」のように感じられてしまう。 アマルフィターノは「亡命」という稀有な経験を生き抜いてきた人物だ。しかし、そんな彼でさえ、サンタ・テレサという土地では精神に変調をきたしてしまう。 彼は合理的・科学的な「幾何学の本」ではなく、混沌とした「チリの伝説に満ちた歴史書」に傾倒していく。彼のアイデンティティの拠り所が、「科学」から故郷の「チリ」へと移っていくのだ。 本当は、論理的な幾何学図形のいたずら書きも、真偽不明の怪しい歴史書も、この土地の現実の前では大差がないことを、彼自身が知っているはずなのに。 この章では、多くの人物が精神の安定を図ろうともがく。ゲーラ・ジュニアが突飛な行動で安定を図るように。アマルフィターノ自身も、会話の中で「心の平穏だけが裏切らない」と語る。 この気味の悪い世界で、誰もが「心の平穏」を保つために、それぞれの儀式的な行動にすがる。そこは、わずかなバランスを崩しただけで、二度と霧の中から抜け出せなくなる世界なのだ。 そして、我々読者はその結末を知っている。アマルフィターノが、ついに心の平穏を得ることができなかったことを。第一部(批評家たちの部)で描かれた彼の姿が、すでに平穏とは程遠いものであったように。リズ・ノートンが評した通り、彼はあらゆる物事を「無視」するにはあまりにも繊細な人物であり、この土地の異常さから目を背けることなど、できるはずもなかったのだ。 続きを読む
『親衛隊士の日』ウラジーミル・ソローキンを読んで 9月 20, 2025 『親衛隊士の日』ウラジーミル・ソローキンを読んで 舞台は、ヨーロッパとの間に巨大な壁が築かれ、中国が技術大国として台頭した近未来のロシア。 主人公のコミャーガは、当初、体制に忠実なだけの人物として描かれている。 しかし、物語が進むにつれて彼の内面が徐々に見え隠れする。ロシアの未来を憂い、伯爵への合図を見落とし、皇后へ欲情し、いずれは隊長の地位に就きたいと野心を抱く。彼の本当の欲望が垣間見えたとき、私たちは彼が自分たちと何も変わらない人間であることに気づかされる。 彼は、私たちの周りにもごく普通にいる人物なのだ。そして、彼に惹きつけられれば惹きつけられるほど、作中に登場する人物たちの欲望のすべてが、実は自分自身にも潜在的に存在するのではないかと、錯覚、あるいは確信めいたものを感じるのである。 続きを読む
『ならずものがやってくる』 ジェニファー・イーガン 9月 08, 2025 『ならずものがやってくる』――「わかる」ことの危うさと、現在の足場 ジェニファー・イーガンの『ならずものがやってくる』を読み終えて、まず突きつけられたのは、「人を見るとはどういうことなのか?」という問いだった。 人が過去を語るからといって、それが真実とは限らない。思い出には修正が入り、それが記憶違いなのか、あるいは無意識の捏造なのか、本人でさえ判別がつかない。 第一章の主人公であるサーシャは、盗癖(クレプトマニア)を持つ女性だ。正直なところ、読み始めは彼女に好感を持つことが難しい。だが、物語はさまざまな角度、さまざまな時代、そして多様な人物の視点から、彼女(や彼女を取り巻く人々)を映し出す。そうして視点をコロコロと変えながら断片を拾い集めていくうちに、サーシャという人間の立体的な側面が見えてくるような「気」がしてくる。 もちろん、それは「気がする」だけだ。どれだけ多角的に描写されても、彼女の内面を本当に理解したことになどなるわけがない。 この小説は、時間は残酷な「ならずもの」だと高らかに謳う。だが、テーマはそれだけではない。その「ならずもの」である時間に対して、苦しみ、もがき続けながらも、他者と支えあおうとするサーシャは、他の多くの登場人物とは少しだけ立ち位置が違う。 彼女は、過去だけを見つめているのではない。現在の中にこそ、自分の足場を見つけ出そうとしている。 だからこそ、彼女は周囲の人物から「幸せになってほしい」と切に願われる存在であり続けるのだろう。 この作品は、章ごとに文体や形式が激変する「実験小説」とも評される。(パワーポイントだけで構成される章など)それらの実験がすべて成功しているのか、その判断は私には難しい。 パワーポイントの章の少女を、登場人物の誰よりも想像してしまうが。 しかし、このバラバラな手法こそが、私たちが他者を(そして自分自身を)いかに断片的にしか認識できていないか、という現実を映し出しているようにも思えた。 続きを読む
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