陰摩羅鬼の瑕 京極夏彦

  おはこんハロチャオ!カノンさんですよ!!


 陰摩羅鬼の瑕を再読したので感想を書きます。

 本作は、あまりにもオーソドックスな作品だと感じた。昔ならいざ知らず、発表当時でさえ、アンチミステリと呼べるかどうか疑問が残るようなトリックだ。これくらいのトリックであれば、現代の一般的なミステリ作品にも類似のものが溢れているだろう。

 もちろん、本書は儒教を下敷きとしているため、単なるミステリではなく、哲学ミステリであるという意見もあるだろう。しかし、儒教自体が道徳、宗教など多岐にわたる側面を持つため、捉えどころがなく、焦点が定まらない印象を受ける。哲学ミステリといえば、笠井潔氏の『矢吹駆シリーズ』が最も有名であり、その哲学的な深さは群を抜いていると言えるだろう。

 もっとも、『矢吹駆シリーズ』は西洋哲学を基盤とし、本書は東洋哲学を基盤としているため、単純に比較することはできない。


 この物語は原点回帰を装いつつ、スペシャルゲスト的な人物も登場するため、ミステリ好きとしては期待が高まるだろう。

 さらに、シリーズが長く続いていることもあり、ミステリとしての謎解きよりも、登場人物たちの心情描写や、今後の彼らの活躍に重点が置かれるようになったのかもしれない。

 榎木津礼二郎が視力を失い、それに対する関口巽の友情や感情などが物語に大きな影響を与えている点は、これまでのシリーズにはなかった要素だと思う。

 京極堂シリーズはミステリやアンチミステリなどとは、異なる方向へと進み始めたように感じられた。京極堂の憑き物落としとしては、タイトルにもある陰摩羅鬼について深く掘り下げられることはなかった。

『女郎蜘蛛の理』以前と以後では、シリーズの物語の方向性が大きく変化したように感じられます。特にこの『陰摩羅鬼の瑕』を読むと、その印象を強く受けた。


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