映画 国宝
おはこんハロチャオ、カノンさんですよ!!
映画国宝を見ました!!
他の映画を見た際に予告動画を観たのですが、その時は興味はあったけど、観ようとは思いませんでした。ですが、本屋に行けば、国宝の小説や雑誌が置いてあり、否応にも興味を持ちます。
しかし、まだまだ観に行くまで興味は高まりません。そんな頃、ちょっと検索したら、三時間という長い映画だと分かりました。観たくなりました。三時間余りの映画を観たくなりました。
大人気のため、パンフレットは完売、他の映画館で探す所存です。
ストーリーを簡単に説明すれば、一人の女形が人間国宝になるまでの人生を描いてます。
しかし、人間国宝になるほどの主人公の周りの人は、いい意味でも悪い意味でも、人生を翻弄されてしまいます。
今回は女性のみに焦点を絞って、感想を描きたいと思います。
幼馴染の福田春江
ヤクザの跡取り息子の主人公に惚れて、13、4で背中に刺青を入れるほど気合いが入ってる女の子です♪主人公を追いかけて京都に出るほど、惚れています。実際主人公は親の仇打ちで、多分少年院とか入ってるんじゃないのか?そんな主人公を追いかける情熱的な女の子です。そして、彼女は主人公にプロポーズをされます。しかし彼女は断ります。私は「なんで???」と思いました。しかも彼女は、朝主人公が帰った後、泣いているのです。そして彼女は主人公の親友と京都を去ってしまいます。彼女は主人公が組の後を継いでいたら、そのまま結婚したと思われる女性でした。
大垣幸子
師匠の奥さんであり、親友の母であり、15歳以降の主人公の育ての母。
彼女は正直な人物です。主人公が転がり込んでくれば、こんな大きな子を育てられないという。主人公に対しても名跡を継いでくれるなと言いつつも、旦那をなじり、息子も情けないと嘆きます。主人公が、謝罪した時も、きっと言いたいことが沢山あったはずなのに、グッと我慢して何も言わずに退席しました。
もし主人公の才能が息子よりなければ、主人公にとって第二の母になったと思います。
藤駒
祇園の芸妓
この物語の中で一番覚悟を決まっている女性です。今の時代では、あーだこーだと言われてしまうと思いますが、彼女はこの物語で一番幸せな女性だと思います。彼女は主人公に惚れます。いろいろな言い方がありますが、惚れたという表現が一番良いでしょう。彼女は主人公が本当にすごい役者になると信じた女性です。例えば、桂小五郎の幾松のように惚れた男に本懐を遂げてもらいたいと思う女性がいます。彼女もその一人であり、あった日に、「あなたにかけます」と言いそして「日本一の役者になってください」と言います。彼女は主人公の子供を産み幸せな時間を過ごしますが、それはほんの短い時間でした。運命の歯車がほんの少しでも、噛み合えば、彼女の幸せがもっと続いたと思います。それでも、彼女は、初めて主人公にあった時に言ったとおりの人生を歩み幸せだったのだろうと思います。
彰子
主人公にただ憧れていた女の子です。その憧れはまるで王子様を見ていた、夢見る少女のようです。ですが、主人公が親友と喧嘩したあたりから、彼女は現実の扉をノックしだします。なぜ主人公は彼女を抱いて自分のものにしたのでしょうか?それは二つのことが考えられます。一つはうまく行けば、彼女の親の力で、役につくことができる。二つめは、親友のように自分を支えてくれる女性がいて欲しいと思ったのではないだろうか?
ですが、彼女は所詮お嬢様でした。苦しい生活は彼女の笑顔を消しました。そして彼女は主人公に言います、「どこを見ているの」と言って彼女は主人公のもとから去ります。主人公は「俺はどこをみてたんだ」と言います。そして私は気づきました。幼馴染の福田春江が主人公のプロポーズを断ったのは、主人公がどこか別のところを見ていたからなのだろうと。悲しいけれど、藤駒は主人公がどこか別のところを見ていることを知っていても、そばに少しでもいることができれば満足だからこそ、自分から、去ることがなかったのだろう。
娘
藤駒と主人公の娘である。
主人公がお祈りをしている時に問う、「何をそんなに神さまにお願いしてるの?」「神さまじゃないよ悪魔にお願いしたのさ。何もいらないから日本一の役者になれるますようにと」「悪魔はなんて答えたの?」「叶えてくれるてさ」あまりにも、親が若しくはは大人が、子供に言うことではないと私は思いました。主人公はこの時点で、いろいろなものを切り捨て終わっているのでしょう。主人公の襲名披露の日、娘は主人公をずっと追いかけます。主人公はずっと無視します。タイミングが合えば、きっと彼女は主人公の娘として一緒に暮らすことができたのでしょう。
とてもとても不思議なことなのですが、主人公は、藤駒の「日本一の役者になって」という言葉に、対して悪魔に祈るほど必死に答えるのです。
主人公は藤駒のことそして娘のことを忘れたことはないと言います。それは本当のことでしょう。藤駒は自分と芸が別世界のことだと分かっていたんだと思う、だから彼女は子供を産むことができた。
私が藤駒が幸せだと言うのはそういうことである。福田春江、彰子二人は一つ世界しか持たないから、主人公と添い遂げることは出来なかった。藤駒は芸妓として芸の世界を知っていた。そして娘もカメラマンとして別の世界を知っていた。だからこそ主人公を、最後まで愛することができたのであろう。
やはり歌舞伎という日本文化は今でも、強い力を放出している、この三時間という長い時間を飽きさせないのは、歌舞伎という日本芸術のパワーによるところが大きい。
映画は面白く、そして小説も読みたくなった。
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