『2666』ロベルト・ボラーニョ|第一部の感想と考察
『2666』ロベルト・ボラーニョ|第一部の感想と考察
導入は、四人の主要人物の紹介と、彼らのアルチンボルディとの出会いから始まる。
本や作家との出会いは、誰もが経験し、また経験したいと願うことである。だからこそ、僕ら読者はこの導入を「自分ごと」として読むことができる。
ノートンとアルチンボルディとの出会いを、作者は「衝撃的でもなく、詩的でもない」と評しながら、彼女の出会いの経緯だけを詳細に描いている。
それによって、読者は逆に、他の三人とアルチンボルディの出会いを想像させられる。
第一部では、ところどころ不思議な場面が差し挟まれる。例えば、モリーニは失明したと書かれているにもかかわらず、その後に新聞を読んでいるシーンが出てくる。
そして、文章は全体を通して不穏な気配を感じさせる。物語の雰囲気そのものが、すでに不穏なのである。
この章は、批評家たちがアルチンボルディを探す旅であり、また(モリーニたちにとっては)エドウィン・ジョーンズに出会う旅でもある。
アルチンボルディは見つからない。だが、すぐそばにいることが示唆されて終わる。
彼は謎だけが残る。ドイツ人ということ以外は、少しのエピソードがあるだけだ。
作中で「彼は盲人の目をしていました。別に彼が盲人だと言ってるわけじゃないが……」と語られるように、彼の目は何を語っているのだろうか。想像すればするほど、批評家たちが想像で話していたような、的外れな考えだけが浮かんでくる。
エドウィン・ジョーンズはモリーニに「自分たちは似ている」と言う。
モリーニは、エドウィン・ジョーンズの手を切った理由をノートンに聞かれ、「お金のためさ」と答える。ノートンはその答えを受け入れる。二人が同じ方向を見ていると感じられるこの点は、この章の救いの一つである。
このエピソードは、モリーニがかつて出会った無職の男の話と対照的だ。その男は、給料が上がったにもかかわらず、「自分がつくっている物に責められるような気がして」職を辞めてしまう。
対照的だが、それぞれは独立してもいる。無職の男もエドウィンも(そしてモリーニも)別人であるのだから。芸術家であろうが、誰であろうが、人には孤独があり暗闇がある。それが当たり前なのだ。
ところどころで夢を見た話が出てくる。それが余計に、夢が詳しく書かれていればいるほど、現実世界の情報だけを見せている文章がさらにそっけなく思えて、奇妙な不安感を増幅させる。
物語はまだ序章にすぎないが、不穏な気配だけがより一層色濃くなった。
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