塗仏の宴(宴の支度・始末)京極夏彦
おはこんハロチャオ、カノンさんですよ!! 塗仏の宴を再読したので感想を書きます。 京極堂シリーズでは珍しく、上下巻である。京極夏彦の小説は一冊は長いが、今まで常に一冊で完結していた。しかし、この長さでも最後は駆け足で終わったように感じられた。それを証明しているのは、幾人かの登場人物が掘り下げることなく終わったことである。 物語のスタートは、関口巽から始まる。「女郎蜘蛛の理」では関口巽は最後だけ登場であったが、今回はある意味最初だけの登場である。 消えた村、あまりにもカストロ雑誌に相応しい題材である。消えた村の取材から始まるこの物語は、今後のシリーズに影響を与える人物が登場する。さらに何かしらの悪意が全体のシリーズに影を落とすのである。 しかし、この小説はアンチミステリなので、それでもいいのかもしれないと思わされます。それゆえに、私の中で評価が分かれるのですミステリとしての種があまりにも、「どうなんだそれ!!いいのか!!」とツッコミをいれたくなるものだからである。だがこの小説はアンチミステリなので、いいのかもしれないと思ってしまうのである。それゆえに賛否両論なのである。 初めてこの小説を読んだとき、ラストへの大騒動があまりにもライトノベルのようだと思ってしまった。そしてそれは再読した今でも同じである。元々メタ的な存在であった榎木津礼二郎は、短編作品などでも見られる傾向だが、本作では特にライトノベル的な人物像になってしまったように感じらる。 この物語はメタ的にいえば、今までとこれからの京極堂シリーズはしけ的物語である。 あまりにも大げさな百鬼夜行的物語は、「女郎蜘蛛の理」で重要な役割を果たした人物の死という衝撃を与え、読者をどこかおかしく、混沌とした世界へと誘うのだ。 この物語は、ただのアンチミステリではなく、京極堂サーガへの入口と称してもいいのだろう。シリーズの新たな展開への期待感はあるものの、物語そのものの面白さという点では物足りなさを感じてしまう。 様々な面白い要素が散りばめられているにもかかわらず、それらをうまく噛み合わせることをせずに、結果として物語の榎木津礼二郎のように、ぶち壊している。 それゆえに、これ以降の物語への入口でありはしけなのである。