『2666』ロベルト・ボラーニョ|第四部の感想と考察

 『2666』ロベルト・ボラーニョ|第四部の感想と考察

 

 読み始めると違和感を覚える。会話のカッコがない。一箇所だけ「おはようございます、ケスラーさん」と言うのが常だった。というところだけである。

 多くの被害者と加害者、背神者、警察、精神科医、マスコミ、霊媒師、弁護士、政治家が現れては消えていく。

 サンタテレサの事件は、連続殺人事件とフェミサイド、闇社会の粛清と何も判明しない事件があるようだ。しかし誰もそれを分けることなく、サンタテレサの連続殺人事件として理解する。

 サンタテレサが特殊だから、繋がっていないのではなく、狂気が繋がっていると本能的に理解するのである。

 それでも、死体を見れば知らない人物であろうが、祈りを捧げ、憤慨して泣き叫ぶ。隣人の子供が行方不明になれば、親のように心配して慟哭する。ルームメイトが殺されて、子供だけが残れば、ルームメイトが私が今後子供の面倒を見ると言う。

 愛すべきメキシコ人であるはずなのに、男性の女性蔑視と嫉妬と嫉みは止まらない。

 少ないが救いはある。若い警官のラロ・クーラが、無理強いすれば夫婦であってもレイプになるといったシーンである。周りの警官は愚か者を見るような目で彼を見ていたが、それでも彼の勤勉さと誠実さは白眉である。だからこそ彼は、周りに注意され、笑われる。誰よりも勇気があり、行動力そして勤勉な彼であってもヒーローにはなれない。ヒーローがいない世界で、彼はいつまで自分の信念を保ってられるか、悲しみしかない。


 驚くことに暴力シーンはほぼない、淡々とパソコンのキーボード音が聞こえるほどの淡々さで、被害者の女性の死因と家族の状況と犯人に関わることが、描かれている。それゆえに、日々を力強く生きている女性に心を打たれてしまう。人生と死の恐ろしさ、読み手離さない絡みつくべったりと何枚も何枚も魂に貼りつけられる。

 仕事場に近いが、手作りの家から、距離はあるがきちんとした家に引っ越した家族。娘と二人仕事場まで話しながら歩くのは時間を忘れさせた。淡々と描かれているからこそ、深く心を捉えてしまう。

 センセーショナルな、死体の状況よりも、何も分からない死体、家族が見える死体が人生を否応なく想像してしまう。

 女性が、人間が弱くても懸命に自分だけができる努力だけが美しい、されどそれは台風の目なのかもしれない、一瞬だけの美しさなのだろう。

 

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